makky63faciの日記

大学生、感じたこと書いてます。ほぼほんとに日記です。

「天才」

こんにちは、マッキーです。

台風が各地に来ておりますが皆さんいかがお過ごしでしょう。

僕は台風が来るとテンションが上がるタイプだったので

外でサッカーをするような子供でした。

 

少年の心そのままに20になってしまったので、

今でも台風が来ると体を動かしたくなります。

 

 

さて、無駄話は置いておいて、

今日のテーマは「天才」で行きましょう。

 

皆さんが自分のことをそう思っているかは知りませんが、

少なくとも他人に対しては「この人天才だ」

と感じた経験があるのではないでしょうか?

 

僕もよく思うことがあります。

優秀な人を見るとつい言ってしまいがちですよね。

 

「天才」って何なんでしょう。

 

よくよく思い返せば、僕たちが天才だと感じている人たちは

皆すべからく何かの分野に秀でている人です。

勉強でもスポーツでも、突出した力を持っている人を

僕たちは「天才」と呼ぶのです。

 

 

さて、ここで僕は思います。

僕たちはみんな「天才」であったと。

 

生まれた時には人はいくつかの才能を持っています。

才能を言い換えると、向き不向きというやつだと思います。

これは、体質や脳の構造、遺伝により発生するもので、

一人一人全く違って、でも誰もが持っているものです。

 

これらの才能が発揮されるには何が必要かを考えました。

なんだと思いますか?

 

僕の結論としては、才能の早期発見と、身近な人からの肯定であると思います。

 

才能の早期発見については言うまでもないでしょう。

脳、骨格、筋肉等の発達は10代後半

ほぼほぼ終了します。

それまでの期間にどれだけ持っている才能を伸ばすことができるかが

重要になってきます。

例えるなら、遺伝的に持久力のある筋肉の質やバランスで、

ラソンの才能を持って生まれた子がいたとします。

その子が成長期に十分な栄養とトレーニングを得られなかったとすると、

その才能は発揮されることはないでしょう。

才能をいち早く見極め、それを伸ばしていく努力ができれば、

天才に近づけると考えます。

 

もう一つは、身近な人の圧倒的な肯定です。

才能、というものはその特性上、伸ばすためには孤独が付きまといます。

周りよりも突出したものを手に入れるには、抜きんでるには、

絶対的にその孤独感に向き合わなければいけません。

そうしているうちに、社会への所属欲求が満たされなくなる場合があります。

前にブログで書きましたが、欲求は段階があり、

下から順番に満たしていかなければいけません。

 

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 となると、才能の発揮という自己実現欲求の前に

社会への所属欲求が来てしまうようになり、

才能の発揮に向ける欲求がなくなってしまいます。

そうならないために、周囲の人が努力やプロセスを肯定し、

同時に存在そのものを承認するという活動が必要になります。

 

 

上のような条件が意識的につくられていた、

あるいは無意識にできていた状態で努力した人が

「天才」なのだと思います。

 

いかがでしょう、自分の才能や周りの才能を

大事に育てていけることを祈ります。

 

 

 

 

それでは!